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橘広庭の宮

2019.01.15


昔習った歴史の授業で、今でも覚えてることはなんですか?
と訊かれたら、大抵の人が答えられるもののひとつに
「大化の改新」があると思います。中大兄皇子(天智天皇)と
中臣鎌足(藤原鎌足)が対立していた蘇我氏を伐った出来事ですが、
騒動の後、政権を掌握した中大兄皇子が一時期我が町朝倉に都を
移していた時期がありました。

 

都と言うと平城京、平安京のような立派のものが思い浮かびますが
この都は百済滅亡後、一気に危険度が増した世界情勢に対応するため
急ごしらえした「作戦本部」みたいな規模のものだったようです。
あまりに短期間での都設営だったため、そのやっつけっぷりは
皆の記憶に残り、数百年後鴨長明に方丈記の中で「(福原京への
遷都はあまりに突然で工事は追いつかず、土地も確保できず
内裏が山の中だったので)朝倉の木の丸殿もこんな感じだった
のだろう」と書かれています。

 

福原京と同じようにこの都、橘広庭の宮もすぐに用済みとなり
破棄されたため現在その遺構を見ることはできないのですが、
「綾の鼓」や「麻氐良の鬼」などこの都にまつわる話がいくつか
残っています。

 

そのうち写真を交えつつ紹介できたらいいなと思います。

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